一、徳次朗会のはじまり
日吉台徳次朗会の名前は会長髙橋雄吾の祖父髙橋徳次朗に由来しています。お祭りや人の多く集まる所をこよなく愛した
平成十七年度の成田山祇園祭で会長が冗談で付けたこの名前も、平成十八年度の三里塚祇園祭において本三里塚区祭礼本部にポケットマネーでアミノサプリ一ケースを寄付し、掲示板にその名が連ねられた時から、自他共に認める正式名称となりました。
それから一年の間、多くの親睦会を居酒屋もんぶらんにて開催し、会員同志の交流を深め、また着実に会員数を増やして行きました。時には会長一人で飲むこともありました。
平成十七年度の結成時には会員数一名(会長)だったこの会も、平成十九年度には十五名を数え、揃いの手拭と鯉口シャツを保有するまでに至りました。
これらのデザインと色は会長と副会長の大木悟子、書記(当時)の石原康介により入念に考案され、富井呉服店殿の御協力により制作されました。会の紋章である藤輪に桜、そして短冊に徳の字が施されたデザインで、色は鮮やかな藤色を選びました。藤は髙橋家の紋章である丸に下がり藤に繫がり、また会の和を尊ぶ心から輪形にこだわりました。色も同じく藤に掛けていますが、会で見物に行った佐倉の祭りで見た揃いの鯉口が藤色で、それが非常に印象的だったことから採用になりました。中の桜は会長の古き祭りの記憶の残る佐倉と掛け、また女性の多く参加する会でもあることから華やかさを添える為に採用になりました。
随分会長のことばっかりという感じですが、会長が作った会だから、まあ仕方がありません。
奥が深いようで浅い会ですが、まだ始まったばかり、皆で歴史を刻んで行ぐべぇ。
